それは、3ヶ月ほど前の『彩の国ふれあいボッチャ』でのことでした。
その日、前の年と同じように『コールルーム』専属のスタッフが、(私の他に)もう1人いました。
スタッフ全体ミーティングを終え、開会式までのわずかな時間で『コールルーム』担当スタッフと打ち合わせ。
その後、お昼まで休憩がないことを見越して一瞬休憩に入った親子でした。
5分後戻ると、『コールルーム』専属の彼が自分のお母さんに一生懸命訴えている真っ最中。
彼には発語が難しいため、お母さんでさえわからないこともあります。
彼は、『文字盤』も使うこともできますが、お母さんや身近な人は、表情や身体の動き・声などでコミュニケーションをとっています。
発語がないと、「おとなしい」とか思われがちになってしまいます。
が、彼は違います。
もしかすると、私より(そんなこと言うと怒られそう)おしゃべりかもしれません。
そして、そのおしゃべりが時には私たち親子を助けてくれます。
何を言いたいのかわからないお母さんは、「あ・か・さ・た・な・・・・・・」と50音の頭文字を順番に言い始めました。
これは、聞き取りにくい時などに使われることの多い方法で、私たちの間ではよく使われています。
お母さんの言っていく中から、自分の言いたいことの文字を拾って行く彼。
彼の拾った文字を言葉にしていくお母さん。
その言葉が、何気なく聞こえてしまった私。
その言葉を聞いた瞬間、彼の通訳をしている私がいました。
彼の言いたいことをほぼ100%通訳した自分に驚いてしまったPINKCATでした。
それは、私が休憩中の彼とスタッフととのやり取りでした。
私は、そのことを全く知りませんでした。
それでも、なんとなくわかってしまいました。
彼は、「その通り・・・・・」と言わんばかりに身体の動きで答えてくれました。
その場にいたスタッフ・お母さん・母は、私が彼とスタッフのやり取りの場にいたと勘違いするほどでした。
私が通訳したことにより、その日の大会がスムーズに進行しました。
「なんでわかったんだろ?」と、3ヶ月以上経った今でも思うことがあります。
苑にも、彼と同じように会話をする人がたくさんいます。
苑の人たちの方が、彼との付き合いより長い人もたくさんいます。
が、言っていることがわからない人もいます。
どうして彼のことがわかるのか、自分でもわかりません。
一緒にいる時間の長さだけではないのかな?と思っています。
『うんたらた』
私はこの言葉を聞くとにやけてしまったり、懐かしくなったりします。
それは、私が自分の歳を片手の指で表せられるほど小さかった頃のこと。
当時、我が家の西隣におばあちゃんが住んでいました。
私の祖父母と仲の良かったおばあちゃんは、1日に何度も遊びに来ていました。
そのたびに、私のことを『うんたらた』と言ってはかわいがってくれました。
私の中のおばあちゃんの記憶は『うんたらた』と言われていたことぐらいですが、『うんたらた』と聞くとおばあちゃんの記憶がよみがえってきます。
それからウン十年、『うんたらた』の記憶も薄れかけていたある日、母が『十三仏の真言』が書かれた紙を持ってやって来ました。
「なつかしいもの見つけちゃった・・・・・」と見せてくれた紙には、『うんたらた』の文字がありました。
『十三仏』とは、亡くなった人を『浄土』へ導く13人の仏様です。
それぞれの仏様には、『真言』があります。
『真言』とは、仏様に唱える言葉のようなものです。
その『十三仏の真言』の中の『不動明王(ちょっと怖い?仏様)』の『真言』の中に『うんたらた』がありました。
初めて知った『うんたらた』の意味。
そんなありがたいものだったなんて・・・・・。
おばあちゃんは、「私を仏様のように扱ってくれたのかな?」と今になって思っています。
今では私のことを『うんたらた』なんて呼んでくれる人はいませんが、この言葉を大切に生きていく行くことが、おばあちゃんにとっての一番の供養になると思っています。