FC2ブログ
2019.06.24 『浅草寺』

念願だった『スカイツリー』を楽しんだ後、3人で『ソラマチ』でゆっくりランチ。

レストラン街の中の洋食屋さんに入り、めったに(と思われる)『大人のお子様ランチ』というものをいただきました。

なんていうことはない、オムライス・エビフライ・チキンカツ・スパゲティ・・・・等の盛り合わせ。

どこでも食べられるようなものだと思いますが、ネーミングに引かれ・・・・・。(相変わらず単純な奴!)

いろんなものを食べたい欲張りな奴には、ちょうどいいメニューでした。

食べる前に写真を撮ろうと思っていたのに、気がついた時には手を付けていました。(ただの・・・・・)


「さ~て、どこ行こう?」といいながら、店を出た3人。

「浅草寺、行ってみる?」と浅草へ向かいました。

『スカイツリー』から電車(東武スカイツリーライン)でたったの一駅、歩いても行けそうな距離。

「歩くとけっこう(距離)あるよね」と電車の中で言っていた3人でした。

以前、新光苑の旅行で行ったことがある浅草。

その時は、『仲見世』でおみやげを買っただけだった記憶があります。

『スカイツリー』でも来場者の多くが外国人か修学旅行生の姿が多かったですが、それは『浅草寺』でも変わりませんでした。


浅草駅から『仲見世』を散策しながら、境内へ。

こういったところ(お寺や神社等)は、車椅子で行けるように整備されていないところが多いです。

お線香のけむりで身を清め、本堂へと向かいました。

本堂へ上がる階段の下で手を合わせようとした私に、「こっち来て・・・・・」と友達に声をかけられました。

着いて行くと目立たないところにエレベーターがあり、階段の上まで行くことができお賽銭も投げ入れることができました。

「さすが!!日本を代表する観光地、バリアフリーが進んでる!!」と思いました。

思わぬところで思わぬことができ満足でした。


お参りの後、『仲見世』の途中で『スカイツリー』が見えました。

今まで気にもしていませんでしたが、450mのところが斜めになっているのがよく見えました。

KITTYに夢中になっていましたが、「斜めなんだ!」と思いながら歩いていたところを離れたところから見上げ、改めて「斜めだ!!」と思いました。

「『雷門』がみたい!」の私のリクエストに、『仲見世』を『雷門』まで歩きました。

テレビではよく見ている『雷門』ですが、初めて見たような気がするPINKCATでした。

KIMG0238.jpg

スポンサーサイト



 先日、以前勤務していた職員さんが遊びにきました。

その時のしてくれた話に、思わず顔がほころんでしまいました。

そして、「世間って狭い?」と思ってしまいました。

私の顔を見た桐生在住のその人は、「Pさんの名前を桐生の市報で見たんだけど・・・」と言うのです。

今月の市報に、市内在住でボッチャをやっている人の記事が掲載されたようです。

それは、私と一緒に練習していたBC3の選手でした。

私も以前、熊谷の市報に載せていただいたことがありますが、めったにないこと。

載せていただくことによって、『ボッチャ』というスポーツの存在や選手のアピールになり、『ボッチャ』を広めることのきっかけになります。

そこまでの話を聞いて、「がんばってるんだ・・・・・!!」「もっとがんばれ~!」思いました。

ここまでの話でも、(その選手を知っている関係者として)喜ばしいことです。

話は、ここで終わりではありませんでした。

その選手のひと言が載っていて、その中に私の名前があったとのこと。

何万ともいる桐生市民の中で、その記事を読んで私の名前に反応する人なんてまずいない・・・・・・。

「びっくりしたよ・・・・・「P選手のように強くなりたい!」って書いてあったから・・・・・」と言われました。

そして、「(Pさんって・・・・・)そんなに強いの?」と聞かれてしまいました。

ボッチャを知らない人は、(当たり前のことですが)私が(ボッチャ界の厄介者・問題児等で)有名なことすら知らないんだな・・・・・・と改めて思いました。

「そんなに強いの?」と聞かれて、悪い気分はしない(するわけがない)PINKCATでした。

また、「P選手のように強くなりたい!」と名指しで書かれていたことも、(飛び上がるほど)嬉しかったです。


しかし、埼玉ボッチャクラブをはじめ私を知っている人は、「(私のようなやつに)なっちゃいけない!!」と口をそろえていいそうです。

もちろん、私もそう思います。


私と試合をする相手選手そしてその試合の審判は、相手が私だとわかると覚悟して入る人が多かったに違いありません。

それは、私が勝つ気満々で(相手選手や審判にとって)いや~な選手として認識されていたからだと思っています。

そう思われながら、勝つためなら(競技規則範囲内で)なんでもやった私でした。

しかしそれはアスリートにとって、いちばん大事なこと。

「勝ちたい!」と思うからこそ、嫌われる存在になってしまうと思います。

それがあるからこそ・・・・・・。

去年の夏に行った『東京タワー』。

『東京タワー』に向かいながら、「なんで今さら(『東京タワー』)・・・・・?」とブツブツ言っていた私。


その何年も前から、「『スカイツリー』・・・・・・」と騒いでいて私でもありました。

2ヶ月ほど前に、友達(親子)に話すと「じゃ、行こうよ!」ということになり、先日(4日に)、行ってきました。

(『スカイツリー』に)行けることが嬉しくて・・・・・、PCに穴が開くほど調べました。

何も知らないで行く日を決めたのに、サンリオの『HELLOKITTY雲の上のアニバーサリー』なるものの開催中とのこと。

「神のお導きだ~」と当日が待ち遠しいPINKCATでした。


私の願いが届いたのか、暑いほどのいい天気の一日でした。

都営浅草線『押上駅』に10:00ごろ到着。

ちょっとぼけた行動をしましたが、無事に友達(母のみ)と合流することができました。


さっそく350mの『展望デッキ』へと向かいました。

350mですでに『東京タワー』の『トップデッキ』より高い・・・・・・。

『東京タワー』から見えたビルや車より小さく見えました。

また『東京タワー』からはよく見えた『レインボーブリッジ』が、『スカイツリー』からは高いビル等の陰に隠れ見つけるまでに時間が掛かってしまいました。「(同じ東京なのに場所と高さが違うと)全然違う景色なんだ!!」と思いました。

以前千葉方面での大会等の時に『外環(首都高)』から『カイツリー』を見ながら、向かったものでした。

その『外環』を探して・・・・・あ~でもないこ~でもないと、3人で350mからの眺めを堪能しました。

ひと回りし終わるあたりに『フォトサービス』があり、専属のカメラマンがグループごとに写真を撮っていました。

私も母と2人で撮り、写真を購入しました。

購入した写真にはQRコードがあり、PCなどに読み込めるようになっていました。
「今、こんなサービスがあるんだ!」と思いました。

66707.jpg

写真を手に、450mの『展望回廊デッキ』へ。

そのエレベーターを見ただけで、幸せな気分になっていくのがわかりました。

全面KITTYをはじめとするサンリオキャラクターでいっぱいのエレベーターで向かった先には、誕生から現在までのKITTYのパネルが並んでいました。

年代でKITTYの顔やデザインが変わって行くのが、よくわかって面白かったです。

450mにまで行ったにもかかわらず、景色を一切見ることないまま大満足で下りのエレベーターに乗りました。


タイトル

昨年の大晦日に、「『私がボッチャを通しての経験』を書きたい・・・・・」ということを書きました。

それをいよいよ、今回から始めさせていただきたいと思います。

BocciaMyおもしろHistory』と題して、不定期のシリーズ化を考えています。

他の選手では有り得ない、珍試合や遠征先でのちょっと笑える出来事などをおもしろく書いていく予定です。

お時間のある方は、目を通していただけると幸いです。

記念すべき第1弾・・・・・・、何を書こうか2~3ヶ月も悩みました。(おもしろい事だらけで・・・・・)


悩んだ末、「ここ(この試合)から始めるべき!!」「これをなくして(私の)ボッチャは語れない!!・・・・・」私の中で何年経っても決して忘れることのできない1試合。


2008年(もうそんな前なんだ~)5月3~4日に横浜ラポールで開催された『第5回関東ボッチャ選手権』の2日目。


前日の予選リーグで、「賄賂でも渡したんか?」と私を見る人みんなに言われるほど何もしないで勝ち上がった私は、決勝トーナメントを待つばかりでした。

他のリーグは選手が多かったため、(私の)相手も決まっていませんでした。

「もしかして・・・・・(K君?)」

私の(いや~な)予感は的中。

こうして始まったベスト8からの決勝トーナメント。

いつもと反対(の色)での勝負。

10年以上も前の試合だから、詳しいスコアなんて覚えちゃいない・・・・・。

覚えているのは、(K君が)1点リードで迎えた4END。

4ENDに行くまでだって、かなりハードな試合だったに違いありません。

すでにヘロヘロの2人。


私が勝つには、このENDで2点取るしか道はない。

私が自分のボールひとつ寄せ、K君が6個使い果たしたんだと思います。

しかしただ使い果たすわけがないのが、K君という奴。

ジャックと私のボールの周りをすき間なくご丁寧に固めてくれました。

そのすき間からほんのちょっと見える自分のボールの端を狙い投げたボール。

強さの加減がわからずそして狙いも悪く、2~3球無駄にしてしまった記憶があります。(そこを狙うしか方法はない)


グイグイ攻撃仕掛けて、試合後に「Pさんがグイグイ来るとは思わなかった・・・・・」とコーチに言われるほど、血の気の多いこの日の私でした。

残るボールは、あと1個。

このまま終わっても、タイブレイクをすればまだ望みはある・・・・・。

しかしタイブレイク(もう1END)をするほどの余裕がなかった私は、ど~しても1点欲しかった・・・・・。

狙いをしっかりつけ、(当時の)いちばん強く投げられるボールを投げました。

そのボールを投げるには、ほとんど(頭の)真上にあるボールをヘットポインタで押し出さなければなりません。

それをするには、息ができないような姿勢を取らなければ無理でした。

それでも確実に(思ったことが)できる保証はありませんでした。

渾身の1球を投げた瞬間、拍手が聞こえてきました。

無酸素運動のあとのように息切れしながら、審判の声を待っていました。

「青2」と聞こえた時、地獄から這い上がった気分でした。

いい気分でコートから出たのに、

「待ってました・・・・・次、私とだから・・・・もう行くよ!」

と耳を引っ張られてコールルームへ引きずり込まれました。

エネルギー補給・水分補給はおろか、トイレにすら行けないままもう1試合。

心の準備もできていなかったその試合は、大差で負けました。

その後の3位決定戦は、直前の試合のうっぷんを晴らすように、16点取らせていただきました。

それからラポールでの試合をすべて『地獄』と呼ぶようになりました。


ちなみに、地獄の試合の相手K君とはその後も同じような試合ばかりでした。

が、その試合が一番の地獄でした。