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今年に入って初めての、『BOCCIAおもしろMyHistory』です。

これまで4回、今回で5回目となる『BOCCIAAおもしろMyHistory』。

今回から、『BOCCIAおもしろMyHistory』を改め、『BOCCIAIAおもしろOmnibus』として、珍試合や珍事件などを書いていけたらと考えています。


これを書くと、毎回必ず『拍手』が1つだけあります。

「私のボッチャの昔話なんて・・・・・」と思いながらも、『拍手』がもらえるだけで嬉しくなってしまいます。(相変わらず単純な奴)

そんな私に今日も、お付き合い頂けたら幸いです。


今日のお話は、私のボッチャ人生の大恩人の金物先生誕生物語?です。

2006年8月26日、(8回目の)『日本選手権』の1日目(予選リーグ)のことでした。

直前に、その年の秋にマレーシアで開催される『フェスピック』(その年で終了)に出場が決まり、気合いを入れて臨んだ(私にとって4回目の)『日本選手権』でした。

2試合目(たぶん?)、相手は、横浜のNさん。

練習試合などで何回も、戦っている選手。

そのほとんどが私が勝っていました。

その日の試合も、「勝つ!!」と始めた試合でした。

順調に点を稼いでた2END目か3END目(何END目か覚えていない)、変えて1年経ってないランプの足が突然ストライキ(何をやっても動かない)。

高さを変えられないままなんとか続行したそのEND。

END終了と同時に、駆け寄ってきてくれたコーチ。

すぐに『テクニカルタイムアウト』を要求し、応急処置をしてくれました。


『テクニカルタイムアウト』は、試合中に競技用具等にトラブルが発生した場合に取ることのできるタイムアウトのこと。

現在は、『メディカルタイムアウト』と一緒になったとのことですが、当時は、『テクニカルタイムアウト』を単独で取ることができました。


5分間(公式は10分間)、十分な工具もない中でできる限りの応急処置をして、

「後は(試合が)終わってから(なんとか)してやるから・・・・・(がんばれ!!)」

と去っていったコーチでした

試合中アシスタントをしていた母は、「どうやって直そう」それしか考えられなかったそうです。


残りのENDを、応急処置をしたにもかかわらずほとんど動かない足のままのランプで必死に戦い、なんとか勝つことのできた私。

体育館から出ると、試合を見ていた日本ボッチャ協会のスタッフや顔なじみ審判さんたちが、

「よく頑張ったね!」

「大丈夫?」

など声をかけてくれました。

が、動かないランプは、そのまま。

邪魔にならないところでランプを解体していると、

「遅くなった・・・・・(ごめん!)」

「Y先生に頼まれて・・・・・(買ってきた)」

とホームセンターの袋を抱えた、のちの埼玉ボッチャ協会のスタッフのF先生が近づいて来ました。

『テクニカルタイムアウト』を要求する前にコーチに、客席にいたそのスタッフがホームセンターへ行くように指示を受けたとのこと。

それを聞いた私は、

「すごい恵まれてるんだ」

「ありがたい・・・・・」

と心から感謝しました。


「ところで・・・・・(試合は)ど~なった?」

「何とか・・・・・勝てた・・・・・」

試合結果が気になったF先生でした。

袋の中からは、金属のすべりをよくするスプレーやヤスリなどの修理に必要だと思われるものが出てきました。


それらのものを使い、買ってきてくれたF先生やコーチ(Y先生)そして埼玉ボッチャクラブの選手のお父さんなど数人の力で、ほとんど元の状態に・・・・・。

残りの予選、そして決勝トーナメントへと無事に進むことができました。

ランプはなんの問題もなく決勝戦までがんばってくれたのに私の方が力尽きて・・・・・、金に手が届きませんでした。


しかし大会終了後、日本ボッチャ協会の理事の先生から、翌年にカナダで開催の『ワールドカップ』のメンバーに「推薦したい」とのことを言われました。

そして、カナダへ行くことができました。


その後(今でも)、埼玉ボッチャ協会のスタッフは、『金物先生』と私達親子に呼ばれ続けています。

金物先生は、私のボッチャ人生の『命の恩人」です。

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